記念すべき30投稿目は

回想

ブログを更新出来て30記事目になりました。

何を書こうか。。

やはり私を支えてくれている家族を書きます。

 

私には、娘が一人います。

現在は、離れて暮らしています。

介護職です。

日々、大変だろうな。

今年に限っては特にどんな業種も大変ですが、特に高齢者の方を預かっている施設は大変です。

 

娘よ。

いつも私が気が付かないところをフォローしてくれてありがとう。

 

ブログを書こうと思ったのも自分の為、でもあり、こんなおばちゃんの経験が誰かの為になるならという思いと、やはり家族に何かを残しておきたいというのが率直な思いです。

 

日々、過ごしていると見逃しがちな出来事も

ブログを書くうちに新鮮に見えています。

子育てしているときには、忙しさで自分を見失うこともありましたが、ここまでくるといろいろ考えます。

子どもを持つことは、大変なことですが(お金も、身体もね)

今思うと楽しい時間がいっぱいでした。

それがあって、これからも頑張れる。

子どもを持ったことは私には奇跡でしたから…

あの時

幼い時は、両親がいつも喧嘩ばかりしていた記憶しかありませんでした。

離婚した母に連れられ、「自分は結婚しない」と、どこかで思っていました。

高校をでて、働きながら保育の専門学校に通学していた時、足の不自由なA子さんと出会いました。

職場でできた、初めての同期です。

 

彼女は、自分の家が酪農一家で、お姉さんと2人姉妹。

どちらかがお婿さんを取って後をつがなければならず、自分がこんな足なので、家を出たと言っていました。

私も、両親が離婚し、高校を出たら家を出て、母の迷惑にならないように、自分で食べていかなくては行けないこと、勉強して保育士になりたいことを告げました。

私達は意気投合し、一緒に出掛けるようになりました。

彼女はとてもピュアなひとで、結婚するのを夢みている女性でした。

彼女と付き合っているうちに、私も将来どんな人と結婚するのか考えるようになっていきました。

私達は、職場の寮で二人 いつも寝るまで話すのが日課でした。

 

そんなある日…

門限ギリギリに帰ってきた彼女

泣きながら、読んでも返事がなく、自分のベットのスペースから鳴き声がきこえてきます。

なんかあったの。

私が聞いても泣くばかり。

後で聞くと、付き合っていた彼氏に、彼女の足の事で、彼氏の家族から、今後の付き合いを止められたらしいのです。

「別れよう」ならまだしも、「付き合うなら健康な人」と彼は親に言われたそうです。

最初から分かっていたんでしょ。なんでさー。

彼の事も知っていたので私も複雑でした。

 

その後、彼女は、ススキノに度々遊びに行くようになりました。

私とも時間が合わなくなっていきました。

仕事も、遅刻してきたり、欠勤したり

わたしも、上司に事情を聴かれたりして、彼女の実家のお母さんまで来てしまう事態になってしまいました。

後から聞いた話ですが、彼と別れてその後つきあった彼氏ができたそうです。

その人が妻子持ちで、その人と結婚するというのです。

もちろん、先方の離婚が成立してからの話ですが。

そして、彼女は退職し、後からその人と結婚したと聞きました。

私は、だんだん結婚が怖いものに見えてきました。

 

そんなときに、いろいろ相談したり、話せたのが、彼でした。

とてもいい方だと思い結婚しました。

その時はいろいろ話せた彼だったのですが。。。

時間の経過と共にうまくいかず。

若かったんでしょうね。

人生わかりません

その旦那様ともお別れし、一人で子供を育てることになったのです。

 

娘が4歳の時に実家に帰ってきて はや26年が経とうとしています。

光陰矢の如し(笑)

 

仕事、子育て、家事しかやってこなかった人生でしたので

このように人様に何かを伝えることは難しいです。

 

本当に娘には感謝しかありません。

こんな私を母にしてくれてありがとう

元気に働いてくれてありがとう

今度はあなたが幸せになってくれたらと思う日々です。

 

 

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

したっけね~~

 

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